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 藤高偉人伝    〜藤高に関係のある偉人を紹介します〜 

  明道館(明新館)   福井中学   福井高等女学校   藤島高校

岡本小茂
おかもと・こしげ 【服飾デザイナー】
 福井市に生まれる。1890年(明治23)福井中学校に設置された女子部の一期生7名の一員として入学。1892年(明治25)に創立された、県立福井高等女学校第1回卒業生となる。結婚後、医師であった夫のアメリカ留学に従って渡米し、洋裁の技術を習得。夫の死後、故郷である福井市に戻った。

  アメリカ滞在中に習得した洋裁の技術を生かし、だるま屋デパート洋裁部に所属し、和服から洋服への過渡期にデザイナーとして活躍、「ハイカラさん」の愛称 で長く市民に愛された。また、後輩の指導にも尽力し、母校である女学校での講演を積極的に行った。

奥むめお
おく・むめお (1895〜1997) 【主婦連合会会長、参議院議員】

奥むめお 福井市に生まれる。1908年(明治41)に福井高等女学校に入学。父・甚三郎は、自身が学校に行かせてもらえず、毎晩独学で勉強した無念さから、子供たちへは涙ながらに、どこまででも上の学校へ行かせるからしっかり勉強せよと口癖のように言っていたという。

  1912年(明治45)日本女子大学校家政学部に入学。卒業後、奥榮一と結婚。1920年(大正9)大学の先輩である平塚らいてうに誘われて新婦人協会を 結成。婦人参政権の第一歩として、治安警察法第5条の改正をめざし、全国の女性から署名を集めて議会に提出。ついに女性の政治活動を認めさせた。その後、 雑誌『職業婦人』を発刊するなどして、働く婦人の地位向上をめざして様々な活動を続けた。

  1947年(昭和22)には参議院議員選挙で当選を果たし、以後1965年(昭和40)まで3期18年間、参議院議員として活躍した。また、配給マッチの 改善運動をきっかけに主婦連合会を結成して会長となり、庶民の立場に立って、生活に根付いた運動を次々と展開した。1989年(平成元)には、福井市より 福井市名誉市民に選ばれている。


近松秀子
ちかまつ・ひでこ (1897〜1976) 【学童疎開、戦後の母子寮開設、初代県公安委員】
 福井市に生まれる。生家は福井市松本の照護寺。後に社会的に幅広く活躍することになる彼女も幼少時代は恥ずかしがり屋の引っ込み思案だったという。1914年(大正3)に福井高等女学校を卒業。吉田郡岡保村(現・福井市)の勝縁寺に嫁ぐ。

  1945年(昭和20)、激しくなる一方の米軍の空襲を避けるために集団疎開してきた大阪府布施市(現・東大阪市)の児童102名と引率教師を受け入れ、 食料をはじめとする物資の調達に奔走した。また、終戦後は大陸からの引き揚げ者のための母子寮として寺を提供し、自ら寮長となって世話を焼いた。1946 年(昭和21)に結成された福井県連合婦人会の副会長に就任したほか、1948年(昭和23)には県公安委員に就任。その他にも労働基準局審査委員や売春 防止対策本部の委員としても活躍した。

藤原房子
ふじわら・ふさこ (1930〜  ) 【女性記者の草分け的存在、日本女性学習財団理事長、東京都監査委員】
 福井市に生まれる。1944年(昭和19)、福井高等女学校に入学。勤労奉仕や福井空襲による校舎焼失、終戦にともなう教育の転換などを体験する。1948年(昭和23)に福井高女を卒業し、親の反対を押し切って東京女子大学に進学した。卒業後、日本経済新聞社に入社して、女性記者第一号となる。

  社会部記者や婦人家庭部記者などを経て、編集委員になり、大いに活躍した。1994年(平成5)に退職。続いて女性学習財団理事長などを務める傍ら、女性 や家族問題を中心に多くの本を著した。現在も執筆活動や公務などで多忙な日々を送っている。

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