〜言葉班〜


「つい、のせられてとんでもないことをしてしまったわい。身体を動かしたあとは頭を使ってみよう。
次の話題は言葉と感性じゃ。」

<照明消す>
<演台を下手に運ぶ>
<ナレーターが舞台下手に登場>
<ピンスポ>

買い物を済ませ家に帰った愛子さんは買った服を見てびっくり!服にシミがついていたのです。
「えーなにこれ!!なんでシミついた服買わせるの?あの店員超ムカツク!!」

さて、今のムカツクという言葉、会場の皆さんもよく使いますよね。このムカツクという言葉、元々は『吐き気や胸焼けがする』
といった、体の症状を表す言葉だったということはご存知ですか?
それが近年、『胸がムカムカするほど腹が立つ』という意味で使われるようになり、
最近では不愉快な感覚や不快な感情全てを表す言葉として使われるようになりました。
例えば、ある人に対して、
(全員の声を合わせて)『あいつムカツク』というよう使われ方をします。
みなさんはこの『ムカツク』という言葉をどのような意味で使っているのでしょう。
聞いてみましょう。はい西田さん。

「うーん、イライラするって意味かな。」
では岩永さん。
「あいつのこと、嫌いだーって意味です。」
では小寺さん。
『何か自分より優れてて悔しさを感じてるんじゃないかと思います』
では青竹さん。
「あいつを見ると不愉快になるってことかな」
では岡村さん。
「えっ、ただなんとなく気にいらないだけです。」

ハイありがとうございました。さて会場の皆さん、このように『ムカツク』という、同じ一つの言葉を使っていても、
そこに含まれる感情は微妙に違うこともあることがわかりますね。『イライラする』『嫌いだ』『悔しい』『不愉快だ』などの、
微妙にニュアンスの違う感情を表す言葉が全て『ムカツク』という言葉で表されてしまう。
私達はこれを『言葉の画一化』と呼ぶことにします。
<照明消す>
<明転>
愛子さんの部屋を掃除していたお母さんは、机の上に愛子さんの日記がおいてあるのを見つけました。

愛子「○月×日、はれ。今日は超サイアクな日だった。愛しの優太は美貴といい感じに話してて美貴のヤツ、
偉そうな顔してアタシを見てくるし!チョームカつく!休み時間は朋子に捕まってまた自慢されるしけなされるし!
アイツほんっとムカつく!んで部活ではまたレギュラーなれなくて、サボり魔の恭子がスタメン入りするし!
ムカつく!放課後聡美が書いた私の絵を見に行ったらすごいマヌケ顔!しかも最優秀賞?
超ムカつく〜今日はもうムカつき過ぎて、その辺のぶりっこにもムカついちゃった。」

母「いやだわ〜あの子ったら。もっと色気のあること書けばいいのに。」
愛子「ちょっとお母さん何してんの?!」
母「あら愛子お帰り。」
愛子「(日記を取りあげて)人の日記読むなんて信じらんない!ムカつくな〜!」
母「もう愛子ったら。また『ムカつく』?日記にもムカつくってしか書いてなかったわよ。だいたい、ムカつくってどういう意味なの?」
愛子「えっ?!だから………ムカつくはムカつくじゃん。」
母「じゃあさ、愛子は優太を奪った美貴ちゃんをどう思ったの?『ムカつく』以外の言葉で説明しなさい。」
愛子「ん〜〜?わかんないよ。そんなの。てかお母さん!優太のことも読んだの?ムカつく〜!」

今の愛子さんの日記の場合、『いらいらする』『嫌いだ』『悔しい』『不愉快だ』などの微妙に違う感性を
『ムカツク』というひとつの言葉で表してしまったので、つまらない文章になってしまいました。
当の愛子さんも、『ムカツク』の意味の違いがわからなくなってしまっていますね。

このように『言葉の画一化』が進み、意味の曖昧な言葉を使いすぎるようになると、細やかな感性の違いが、
自分の中でわからなくなっていきます。

『言葉の画一化』は『感性の画一化』を招き、細やかな感性が失われてしまう危険性があるのです。

愛子「そっか…私もなんでもかんでもムカツクって言うのやめて、これからは自分の感じた感性を自分の言葉で表すようにしよっと。」

母「あっ愛子、お母さんね、今から美容室行ってカリスマ美容師に髪切ってもらうから、夕飯の支度頼んだわよ。」

愛子「えーなにそれ!ムカツクー!……じゃなかった、お母さん自分勝手すぎるよー。

…っていうかカリスマ美容師って、懐かしい言葉だなぁ。そういえばちょっと前まで、なんでもかんでもカリスマって言われてたよね。
カリスマ店員、カリスマOL、カリスマ美容師…
「ビューティフルライフ」でキムタクがカリスマ美容師の役して
たよね。なんでカリスマはいなくなっちゃったんだろ…」

その「カリスマ」という言葉、1990年代に広く使われ、ブームとなりました。
しかしブームとなった「カリスマ」という言葉は、本来の意味の「カリスマ」とは違う意味で使われていたようです。

本来「カリスマ」とは宗教用語で、人間を超越した神に近い存在で、崇めるべき対象でした。

例えば、昔、カリスマと言われた人物に、アドルフ・ヒトラーがいます。ヒトラーはその思想と、オーラそして非人道的な行為も含めて、
まさに人間を超越した「カリスマ」として崇められていました。
しかし数年前に「カリスマ」と呼ばれていた人たちは、「ヒトラー」のような人間を超越した存在ではなく、
むしろ「ヒトラー」にはなかった「親近感」や「あこがれ」をこめて、
"カリスマ店員、カリスマOL"
などと呼ばれていたのです。

つまり、カリスマは遠く崇めるべき存在から近くて真似のできる存在になり、「カリスマ」という言葉の意味が勝手にかえられてしまったのです。
そして、このことがまた「言葉の画一化」を招いてしまいました。

例えば、「カリスマ店員」という言葉には、
  • 商売が上手い店員
  • 容姿がいい店員
  • センスがいい店員
  • 人気のある店員
といういくつかの全く違った解釈が出来ます。

それを「カリスマ」という一言で表現してしまったことで、それぞれの違いを表せなくなってしまいました。
ここでも「言葉の画一化」が、「感性の画一化」を招いたのです。

私達は、この情報化社会において、莫大な情報の中からどの情報を選ぶか、常に迷い不安を抱いています。
そこに「カリスマ」と呼ばれる人たちが現れ、私達は情報の選択に迷うことなく彼らの真似をしたり自分を彼らに近づけることが出来るようになりました。
「カリスマ」なんだから問題はないと、カリスマ店員のファッションを真似したり、カリスマ美容師に髪を切ってもらうことによって、自分は最高の選択をしていると思い込んでしまったのです。
自分を意識せずにカリスマをお手本とし同じ選択をすることで、個人が持つ感性は乏しくなってしまいます。
マスコミがカリスマを登場させたことにより、この様な事態が多くの人の身に起こり、「感性の画一化」がうながされました。
愛子「お母さん、自分の使う言葉って自分だけのものだと思っていたけど、実は周りの人やマスコミにかなり影響されてたんだね。
「ムカツク」も「カリスマ」も便利な言葉だけど、なんでもかんでも「ムカツク」とか「カリスマ」で済ませちゃうと本当に感性の乏しい人間になっちゃうね。
流行語は意味をよく考えて使わなきゃね。」

母「流行語について、私も興味があったから、知り合いの大学教授を呼んで来たわよ」

<大学教授役、動きながら説明>

大学教授「「ムカツク」とか「カリスマ」といった言葉は、流行の最先端にいる感性豊かな人が生み出した言葉ではありません。
これはごく普通の人たち、あるいはテレビなどのメディアが生み出した言葉です。
ですから「ムカツク」とか「カリスマ」という言葉は底が浅く、いとも簡単に廃れてしまう可能性があります。」

愛子「そういえばカリスマって言葉もほとんど死語だよね。」

母「そう。カリスマという言葉が以前ほど使われなくなったきっかけは、3年前に起きたカリスマ美容師の無免許事件だったんですよ。
ここで初めて、カリスマを生み出したマスコミ自身から、『何でもかんでもカリスマという言葉を使って崇めたて、真似することは良くないのではないか』っていう問題提起がなされて、
人々がカリスマって言葉を使わなくなっていったんです。
ま、今思えばそう気付いてよかったんでしょうがね。」

愛子「新しい言葉を作ったり実際の言葉の意味を変えていったりすることは、感性が豊かなことだって思っていたけど、そうじゃないんだ。」

大学教授「日本語の細やかな表現が失われたり、曖昧な表現を生み出したり、それどころか、細やかな感性をも乏しい感性に変えてしまう。
つまり「感性の画一化」を招く危険性もあると言えるでしょうね。」

愛子「ふーん。でも、そういう言葉を使うことがほんとに問題なのかなあ…」

大学教授「はい。そういう人のためにこういう例を用意しました。「ビミョウ」っていう言葉が実際にトラブルを引き起こした例です。

ナレーター「優太の家に家庭教師の勧誘がやってきました。」

勧誘者「どうですかぁ、奥さん??」
母「そうねぇ…どうする、優太」
優太「えぇ? 微妙〜」
【携帯着メロが鳴る】
優太「あっ、美貴だぁ。じゃあ俺もう行くから。・・・もしもし、美貴〜?ど〜したぁ〜??・・・」
【優太が舞台袖に引っ込む】
母「もう、あの子ったら・・・じゃあ、あの子もああ言ってますし!お願いします。」
【クイズミリオネアの音楽、母、契約書にハンコをおす。】
<照明を消す>
ナレーター「数日後、優太の家では・・・」
<照明をつける>
【チャイム】
母「優太〜、家庭教師の先生がお見えになったわよー!!」
優太「は!?何言ってんの?」
母「この前一緒に契約したじゃない!」
優太「え〜っ!?俺、微妙って言ったじゃん!!」
母「微妙って「やりたい」って意味でしょー?」
優太「微妙は「やりたくねぇ」って意味だよぉ!!」
優太・母そろって「何だよ〜!何よ〜!」
<照明を消す>
では、自分が感じた感性を自分の言葉で正確に表現することができれば、このケースはどういう結末を迎えるのでしょうか。

ナレーター「優太の家に家庭教師の勧誘がやってきました。」
勧誘者「どうですかぁ、奥さん??」
母「そうねぇ…どうする、優太」
優太「えぇ?ビミョウ……じゃなくて、俺やりたくない。」
【携帯着メロが鳴る】
優太「あっ、美貴だぁ。じゃあ俺もう行くから。・・・もしもし、美貴〜?ど〜したぁ〜??・・・」
【優太が舞台袖に引っ込む】
母「もう、あの子ったらぁ・・・じゃあ、あの子もああ言ってますし。おことわりします。」
<照明を消す>
ナレーター「こうして優太は、みごと家庭教師の勧誘を断ることができ、美貴とラブラブな生活を守ることができました。」

大学教授「どうでしょう。自分の感性を人に正確に伝えるには、どんな言葉を使うかが大切なんですよ。
もちろん、自分が伝えるだけではなく、相手のメッセージも理解し、互いに理解し合おうとすること、そのとき言葉に対する感性がいかに大切か、わかってもらえたと思います。じゃあ、私はここで失礼する。」

母、愛子「ありがとうございました。」

「……個人個人それぞれ違った感性を自分の言葉を使って表現していくこと、そして言葉を通して他人の感性を理解していくこと、
それができて、はじめて、一人一人が自分の感性を大切にし、その上で互いに認め合っていくことができる。」
「『感性の共存』だね。」
<暗転>

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