仮想現実 〜ようこそリアルな嘘の世界へ〜 page5

◆ゲーム班発表◆

スクリーンに「スーパーマリオブラザーズ」のゲーム映像を映す

ナレーション:
 今、画面に流れているのは1985年に任天堂から発売されたファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」です。20世紀の数多くあるゲームソフトの中、売上第一位の681万本を記録したゲームの礎とも言える歴史的な名作であり、今なお根強い人気があるソフトです。

 このころのゲーム本体のCPU、つまり頭のよさはほんの電卓2台分。そして表現できる色は16色がやっとでした。しかし、そんな制限の中でも、人は最高のゲームを作ろうと取り組み、そうやって作り出された世界が、時にいろいろなものに影響を及ぼしてきました。
 さらにその努力により、今現在私たちの触れているゲームは、昔では考えられないくらいに進化したものとなりました。

それでは、ゲームの進化と、それを彩るストーリー。
皆様と歴史をそえてお見せいたしましょう。
 まずはじめに1958年を見てみましょう。
 テレビ画面に任意のオブジェクトを映し出すという技術は、軍事用などで戦前から使われてきましたが、これをはじめてゲームという形にしたのは、ウィリー・ヒギンボーサム氏という、ニューヨークのブルックヘイブン国立研究所に勤務する博士だといわれます。それがこちらです。

 これは、「テニスコートを横から見た画面に、プレイヤー二人がパドルでラケットを動かし、ボタンでタイミングよく球を打ち返す。重力や風力、風向き、ボールの弾み方まで表現されていて、ゲームの交代はスイッチで切り替えることが出来た」というテニスゲームでした。とても重力や風力、風向き、ボールの弾み方まで表現しているようには見えませんが、どうやらそうだったらしいです。ちなみにこのころは日本では野球盤が発売、世界全体ではフラフープが大流行したりと、TVゲームなんてものは概念すらない時代でした。
 時は過ぎて1970年代。この頃になると色々な大学や研究機関がゲームを作り始めますが、それを動かすのにかかるコストはなんと12万ドル。こんな大型車1台分の財産を娯楽においそれとつぎ込む事のできない我々一般庶民にモーゼのごとくゲームの恩恵を与えてくれた人物が1972年に登場します。

 ノラン・ブッシュネル、彼は「大学でのゲームの環境を小型化して人の集まる場所に置けば商売になり得る」言い換えるなら「コンピュータゲームは売れる」と考えた世界初の人物でした。
★ゲーム関連年表★
1958 世界初のTVゲーム登場
1960 大阪で初のゲームセンター登場
1972 アタリの「ポン」登場
1975 国内初のTVゲーム機「テレビテニス」発売
1978〜9 スペースインベーダーブーム
1983 7月、「ファミリーコンピューター」発売
1985 9月「スーパマリオブラザーズ」発売
1986 体感ゲームブーム
5月「ドラゴンクエスト」発売
1987 12月「ファイナルファンタジー」発売
1988 メガドライブ発売
1989 テトリスブーム
4月「ゲームボーイ」発売
1990 ゲームセンター大型化
11月「スーパーファミコン」発売
1991 格闘ゲームブーム
1993 3D、CGゲームが主流に
1994 11月「セガサターン」発売
12月「プレイステーション」発売
1996 2月「ポケモン」発売
11月「たまごっち」
   「NINTENDO64」発売
1998 「ドリームキャスト」発売
1998〜9 音楽を用いたゲームのブーム
(「ビートマニア」など)
2000 「プレイステーション2」発売
2001 7月「FF]」発売
9月「ゲームキューブ」発売予定
2001〜2 X−BOX、近日発売予定
 そこで彼は会社をやめ、相棒のテッドと共に1972年6月27日にアタリを設立させました。そして「ポン」というゲームを作ったわけなのですが、このゲーム、スクリーン内の向かい合ったプレイヤーがボールを打ち返していくというだけの、テニスを極端に簡単にしたようなものなのですが、信じられないくらい売れました。一週間75ドルという当初の収益予測を上回る一週間100ドルを一台で稼いだのです。さらに当時のゲームの主流だったピンボールも大成功で年2000台という所をポンは約8500台売り、世の中にTVゲームというものを広く知らしめる事に成功しました。

 そして1978年・・・・インベーダーブームが日本で起こります。

 タイトーが発売したインベーダーは日本中に広がり、100円硬貨が不足するという社会現象にまでなります。しかし流行の一方、ゲームセンターに入り浸り、学校に来なくなる生徒が続出したため、学校が「インベーダー禁止令」を出したり「インベーターをやる生徒=不良」という認識が広がってしまいました。小学校や中学校で貰った夏休みのしおりによく書いてある「ゲームセンターには保護者同伴でも近づいてはならない」という決まりも、この「インベーダー」が多く設置されたことが始まりでした。ゲームを非難する行政や教育に携わる人のゲームへのイメージというのは未だこの「インベーダー」であることが多いそうです。楽しませようとして、あるいは息抜きとして作られたゲームがある意味人を追い込む物にもなるという顕著な例といえるでしょう。

 しかし、一度高まったゲーム熱は、周りの批判にも負けず、衰えることはありませんでした。
各企業が色々な製品を開発していく中、1983年7月15日、後に全世界にテレビゲームブームを巻き起こすことになるひとつのゲーム機、ファミリーコンピューターが任天堂から発売されました。

 ファミリーコンピューター通称ファミコンは、「ただの娯楽であったテレビゲームを半ば文化にまで昇華させた」と言われるくらいのものでした。
 このファミコンのすごい所というのはゲーム専用機という所でした。これまでにもゲーム機というものはありましたがどれも、ゲームだけでなく、汎用性を高めるためキーボードを付けたり、プログラムが組めたり出来るようになっていたため、
ゲーム機としての性能が低く、また、値段が割高であったため売れ行きはそれ程でもありませんでした。例えば、ほとんどの有名電機メーカーはMSXという世界統一8bitパソコンを作っていたのですが、パソコンなんだかゲーム機なんだか分からないという中途半端さで結局ファミコンにも、NECのPCシリーズにも負けてしまったのです。
 ところで、話は変わりますが皆さんは何故ファミコンがこんな色をしているのかお分かりでしょうか?大体のゲーム機の基調は灰色でそれは昔からあまり変わりません。しかしファミコンだけはくすんだ白と形容し難い赤色を使っています。実はこれは、当時まだ高かったプラスチックを材料に使うことが決まった際、コストを削減するため一番安い赤と白を使ったからだそうです。

 そして、このファミコンが発売された事によりゲームは更なる高みへと突き進んでゆくのですが、ここから先はダイジェストでお送りいたします。

ゲームボーイとスーパーファミコン・SSとPS・DC・PS2の本体の画像

 とても詳しい説明つきでした。おそらく箱が次々出てきた位にしか思われなかったと思うのでゲーム画面を比較してみました。これです。

ドラゴンクエストとPSOのゲーム画面

86年FCで発売されたDQと2000年DCで発売されたPSOです。どこが変わったのか良く分からないという人もいると思われるのでもうひとつあります。

テレビテニスとFFXの画像

 左が75年国産初のテレビゲーム機テレビテニス、右が2001年PS2で発売されたFFXの画像です。おそらく一目瞭然でしょう。このように私たちは記述の進歩により、さまざまな世界を精巧に表現する事を可能にしました。そしてまた新たなゲーム機が登場します。

ゲームキューブとX-boxの画像

 ファミコンを作り出した任天堂が送るニンテンドーゲームキューブ、WINDOWSを作り出したマイクロソフト初のゲーム専用機X-box…これから発売されようとしているこの2つゲーム、そしてまだ見ぬ未来のゲームは、私たちにいったいどんな世界を見せてくれるのでしょうか?

ゲームという「仮想現実」…その「仮想現実」は技術の進歩により豊かになっていきました。
いえ、技術の進歩自体、ゲームの進化そのものと言えるかもしれません。
ゲームの作り出すもうひとつの世界・・・。
それは時代に比例して増えてきています。
その世界をひとくくりにしてしまうのは無粋であると言っていいでしょう。
確かに負の面もゲームには多くありますが、それでも私たちが思うのは、ゲームがもう一つの世界を作る理由はやっぱり遊ぶためであって、楽しむためであって、悪影響が出るとか出ないとかを考える物じゃないということです。
次々生まれてくるゲームの新しい世界…。
私たちはそれを楽しみに待ちながら、今あるゲームをしてみるのはどうでしょうか?
最後に誰が言ったかは分かりませんが、ある有名な言葉を引用してこの発表は終わりにしようと思います。


「ゲームは一日一時間」

ありがとうございました。

司会:
 近代化していくにつれ人は、コンピューターを駆使するようになってきています。コンピューターはあらゆることを可能にしました。たとえば、ゲームなどは、ひとりのバーチャル世界を作るものでしたが、コンピューターはその世界の共有を可能にしました。では、みんなの仮想世界というものを作ったITの発表をどうぞ。
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